そんな中で行政事件訴訟法は司法権たる裁判所で展開するために私法・公法二元論から考えて方程式の違う法律になります。
そんな中で、行政不服審査法は被処分者の意見を聞いてから執行されると言う行政処分後61日行政処分確定前の期間に行政処分「撤回」を留保した構成になっており、異議申立と審査請求を聞いてから執行されると言う構成で、処分後の行政行為の公定力に配慮し、事実上執行されてから不可争力、不可変更力が付与される前に「撤回」権を留保しようと言う政策になっています。
このことは簡易迅速な国民の権利救済と言う言葉で記されています。
従って、行政不服審査法は司法権の「法律上の争訟」に対処した法律とはとても考えにくく、あくまで執行権側の救済処置と考え、元来「前審」という解釈にも馴染まないものと考えます。
二、次に、登記の代理について重ねますが、登記は法務省法務局に置かれてある事に特に行政書士は「気付き」が必要あったと考えます。
即ち、法務局は内局であり国家行政組織法7条の期間であり、執行は行えません。
執行は常に議院内閣制の関係から外局の国家行政組織法3条3項の「行政庁」=行政機関によって行われるものであります。
法務局は他の内局と同じく、政策象徴に該当します。
それでは、誰が登記を執行するのか?
それが司法書士さんなのです。
外局の行政庁は例えば執行が文部科学省外局教育委員会である場合、各都道府県の「教育庁」に執行をゆだねます。
そこで、登記も司法書士さんに執行を委ねているのです。
教育庁は各教員免許者を通じて執行します。
司法書士さんも「代理」を通じて双方申請主義の登記を仲裁・裁定し申請します。
従って、登記は「代理申請主義」を取っています。
それではこの「代理」は誰の代理なのでしょうか?裁判官の代理なのです。
元来、登記は裁判官が確認して登記するべきものなのですが、人数が足らないので、法務局に委託しているのです、それを法務局は司法書士に執行を委ねているのです、そして法務局は司法書士さんを間接的に指導している、・・・と言う事なのです。
従って商業登記・不動産登記の執行機関は、・・裁判所なのです。
法務省は行政機関でも特殊な行政機関です、それは裁判所と内閣を結ぶ
行政機関なのです。
刑事事件における検察庁は法務省の外局になり、政治的中立を保っています、しかし法務局は内局で政治的中立は国家公務員法による規定意外守られていません、しかしそれは裁判所によって政治的中立は守られているのです。
従って、登記官には調査権限はなく司法書士さんにはこれがあるのです。
理由は詳しく知りませんが恐らく行政書士と同じ理由で、登記官は国家公務員であり犯罪を見たら刑事告発義務がありますが司法書士さん達には刑事告発義務までは課していないのだろうと思います。
しかし、これを教育指導する義務はあると思います、これが「代理」なのです。
イマ、登記は本人申請だ、・・・とか言って司法書士法違反の書類を書いて、また登記の代理を経ないで提出させる手口の詐欺が横行していますので気をつけましょう、これは不動産登記4条により詐欺による取消又は、無認可≒無代理による無効だと考えます。
三、しかし、問題なのは総務省までが行政不服審査法の代理権取得に積極的になっていると言う事です。
そこでまず、行政不服審査法12条は代理人を規定しています。
次に、特別法たる独占禁止法では「弁護士または公正取引委員会が適当と認めるもの」と規定しており、ここに施行規則が、行政裁量があると考えます。
公正取引委員会の代理人は「名あて人」とされており特別の承認を経た人間しか代理人になれません。
これを、行政書士法が代理権を取得すると公正取引委員会は無条件に認めなくてはならなくなります。
ここを例にとると、弁護士は無条件に名あて人=代理人になれますが、最近は、経済学の勉強を指導しているみたいなのです。
この「士」業だから一律にという立法には私は反対です。
理由は、例えば私は70%近い撤回率を誇りますが、異議申立は依頼者にとって極めて重要な権利であり、これが簡易迅速な国民の権利救済の唯一の場である事から慎重を期さなければなりません。
私の場合、経済学部出身で経済関係は時間が掛かりますが、認容が降りることは多いと思います、それは審査請求等の意見が行政機関を通じて公共の福祉の役に立つことが多いからです。
処分が無いときには憲法16条の請願法を通じて、行政機関だけではなく内局にも=行政に関して行えます。
この点が「法律上の争訟」がなければ憲法問題を発議できない司法権と違って良いところです。
それが自分の専門外に異議申立を行い審査請求を入れると権利濫用でいたずらに行政を渋滞させる結果になり、執行権が渋滞してしまい国民経済に重大な支障を生じてしまうからです。
行政書士はこの点「国民の利便に資さない」異議申立・審査請求(以下不服申立)は行うべきではなく、代理人の要件は資格のほかにその代理人の専門性の習熟度を見るべきで各独立行政委員会、又は行政庁の裁量に委ねるべきであると考えます。
四、しかし、行政書士ほど個人差のある資格はありません。
現在、無試験時代の合格者が役員になって世の中を荒らしています。
登記の本人申請騒ぎも、登記の代理を登記の代理人と勘違いして本人申請とか詐欺っているのだと思います。
これは勘違いしているのでしょうが、行政書士と言う職業性から知らなければ欠格事由に該当すると考え、登録を拒否するべきです。
当然知っていてやった、詐欺罪を構成するものと考えます。
ここで、行政不服審査法の重要性を考えますと、まず、自分が大学で学んできた専門分野に限られ、またその他就職等により自らの習熟度の高い分野に限られると私は考えます。
ちなみに実務ではこういう弊害を生じています。
公害等調整委員会は環境省の外局ですが、私は厚生労働省の衛生工学衛生管理者の免許を有しています。
最近やっと代理人を許される傾向にあります。
しかし、経済産業省か環境省の資格を取り直してください、・・・と良く言われます。
皆さん、鉛に厚生労働省と環境省で違いがあるでしょうか。
そう典型的な「縦割り行政」の弊害です。
行政書士は「士」業として資格にぶら下がらず、自分の専門性を見つめなおしましょう。
以上
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一、まず、行政法にとって厄介なものに民法上の物権がある。
一般に私的自治の分野は裁判所が管轄し、私人間効力は民法が支配する。
その中で、物権は契約の法律行為の中にあって「物による直接支配」から排他性を有している、その中で国税庁の執行権に対して「法人格」を付与する行為に「商業登記」がある。
商業登記は一般的に商人格を有する商行為を私人間には「取引の安全」という事で公示する機能を有するが、国税庁に対しては法人税の適用、個人事業税の不適用を促し、対抗要件としての物権的効力を有する。
この点、不動産登記も同じく国税庁・市町村には固定資産税・相続税等の適用を公示する結果となる。
二、次に、物権は民法175条に物上法定主義(物権法律主義)が取られていて、権利が債権より強いことから必ず法律で定められる規定になっていた。
これは、慣習物権の排除を意味し、「上土権(うわつちけん)」などがかつて排除された。
しかし、最近は裁判所が許可をもって創造する傾向にあり、「譲渡担保」などは裁判所が認める物権として現在している。
譲渡担保に関しては、条文上の根拠は民法にあるがこの物権に関する規定は民法典にはない。
その他、借家権などは借地借家法9条で裁判所の許可を必要とされている。
一般的に民法に関しては事実上成文主義から判例主義に移行しつつあるのでイギリスのようになっていて、行政書士は入り込みにくい世界になっている。
ここに、行政書士法の独占業務規定の「官公署」に司法を含まし得ると言う行政解釈が存在する。
しかし、官公署に裁判所を含ましうるのはあくまで「行政に関する手続」行政が優先して問題になっている事案に関してであろう。
三、しかし、このような民法上の創設的行為に関しては法律的行政行為で対応している。
あくまで「私法・公法二元論は貫かれなければならない。
これらの物権は「形成的行為」と言って、例えば登記に関しては行政機関が裁判官の許可の変わりに内閣(行政権)と裁判所のパイプ役法務省が監督する司法書士「代理」を与え裁判所の変わりに「裁定」を行わしめている、これは司法書士法と言う法律で成文化している。
形成的行為とはこのほかに一部補充行為の「認可」と設権行為・剥権行為の「特許」が有名で、私権創造の機能を果たしていて、ここも、民法175条の物上法定主義(物権法律主義)の例外として行政権が物権的私権を事実上創造している。
特徴はこれらの行政行為がなければ民事行為が「無効」ということになのである。
「特許」は形成的行為の典型であり形成的行為の基本になっている
しかし、行政法の法律的行政行為とはあくまで「行政裁量」がメインで「下命」=禁止に対して免除を与えるが基本的スタイルになっている。
一般的には禁止に対して許可を与え、この許可の反復・継続した許可が「免許」とされている。
刑事罰が前提で、民事行為は有効である場合に適用される。
行政書士とはこの「行政裁量」に関して添付書類で有利な条件を依頼者に与える資格と介して良い。
例えば不法滞在は、何らかの犯罪で逮捕されれば最長10年間入国を拒否される、しかし、ここには裁量権の余地がある。
しかし、自ら出頭すれば5年の入国拒否期間で済む。
しかし、殺人罪で10年の実刑判決を受けた受刑者が5年で出所するように、1年に短縮することが出来る、ここも裁判所の物権創造機能、また肖像権のように人権創造機能のように、法律の許す範囲で裁量権を活用し、創造機能を演出する、行政書士とは「町の行政官」みたいな存在である。
法律行為的行政行為の「法律行為的」とは私的自治の国民の強い意思という法律行為=契約とは違い、行政庁の裁量を指す。
従って、一番嫌うのは小さな政府ではなく「法規裁量」=驥足裁量なのである。
ここはお手上げ、・・・と思っていたらそうではない、・・・不作為という手が、・・・・。
このように行政権が裁量によってどこまで「形成的行為」を行えるかは「法律に基づく行政」という立法によると考える、(司法書士法が代表的)
しかし、委任立法の範囲においては広範に、・・・と解釈せられる。
四、そこで、三権分立と言う点から、司法書士と行政書士はアプローチが全く逆である。
司法書士さん達は「法律行為」重視の為に行政権を排除する傾向にある。
行政書士はむしろ私的自治の法律行為を無視して憲法に代表される公法上の秩序を導入しようと考える。
行政書士が頑張れば規制法規が増える、司法書士が頑張れば小さな政府と規制の少ない社会が出現する。
今、規制は多いと思う、しかし、国民がモラルを守って生きればそれで良いと思うが、やはり規制は必要だと思う。
理由は高度な文化・風紀を維持するためにはやはり規制が必要で、人間は所詮弱い存在なのであるからである。
行政書士は国民の規範的人格態度の創造に勤め「法律上の争訟」を生じない国民生活を提供していきたいものである。
現在、私は柔軟な「国民の権利救済」の為に驥足裁量を減らして「自由裁量」を・・・と呼びかけている、理由は今、日本社会は「道州制」の導入と「合法的支配」の社会から『伝統的支配』の社会へ移行していこうとしているからである。
即ち、成文法主義には限界があり、合法的支配はかえって不合理な社会を構成しやすくなっている(理由:テクノロジーの発達)。
従って、専門家による伝統的支配を重んじるべきだと考えるからです。
現在までの民法175条の成文法主義が良いか、裁判所の「法創造機能」や行政裁量重視主義が良いかは現在の日本国憲法が物語っていると思います。
果たして日本国憲法が成文法かいっぺん裁判官の皆様に小学生に教えてほしいと思います、日本国憲法を、解りやすく、事実上日本国憲法もアナポコだらけの補充憲法で不成文憲法の域に、判例主義に変容していないでしょうか?(問題提起)
やはり、国民にわかりやすいように憲法を改正するべきなのではないのでしょうか?
みんなどう思う。
以上
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